日本とサウジアラビア

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文化・教育・スポーツ・地域の交流

日本とサウジアラビアの交流は、文化・教育・スポーツなどの分野においても、近年拡大しつつあります。両国民の相互理解と友好親善には、これらの分野での交流が極めて重要であり、今後の活発化が期待されています。


文化交流

サウジアラビア王国やイスラーム教、アラブ・イスラーム文化が日本で初めて本格的に紹介されたのは、1970年に大阪で開催された万国博覧会においてでした。サウジアラビア政府はモスクを模したパビリオンを建設し、クルアーンやアラブ・イスラームの民芸品を展示しました。期間中、多くの日本人来場者が同パビリオンを訪れ、初めてサウジアラビア王国とアラブ・イスラーム文化に触れることとなりました。
1985年、東京で「GCC青年文化フェスティバル」が開催され、サウジアラビアはじめGCC加盟6か国から約400名の青少年が来日し、民族舞踊の上演、絵画・民族衣装・工芸品・刀剣などの展示が行われました。

2002年、日本で開催されたFIFAワールドカップに出場したサウジアラビア・ナショナル・チームを応援するため、「サウジアラビア王立民族舞踊団」が来日し、キャンプ地となった調布市や東京、横浜、埼玉などの各地で民族舞踊を披露しました。

2005年、愛知万博が開催され、サウジアラビアは王国の文化、伝統、宗教などに関する様々な展示品を揃えたパビリオンを出展しました。
2012年、サウジアラビア王国大使館により、大阪にサウジアラビア文化交流センターが開設されたことを記念し、「サウジ・ウィークin大阪」が開催され、展示会や大学でのシンポジウムが開催されました。

日サ国交樹立60周年となった2015年には、サウジアラビアを紹介する展示会が東京で開催され、イスラームの2大聖地であるマッカとマディーナにあるモスクの模型やカーバ神殿のドア、伝統衣装、歴史的遺物やアラビア書道などが展示されました。また、サウジアラビアよりの民族舞踊団が来日し東京や大阪で、「サウジ・アルダ」という勇気、気高さ、騎士道を表現する伝統舞踊が披露されました。

一方、サウジアラビアでは、在リヤド日本国大使館や国際交流基金の文化事業として、日本建築展、日本文化展、版画展、和太鼓講演、生け花展、武道の公演などの各種の日本文化紹介イベントがこれまでに開催されています。また、2011年にはリヤドで開催されたサウジアラビア王国の国民的文化祭典である「ジャナドリヤ祭」において、日本は“Cool! Japan for the Kingdom of Saudi Arabia”をコンセプトに日本の歴史・文化、そして世界に誇る日本の優れた技術を紹介した「日本館」を出展しました。16日間にわたる祭典期間中、王族や政府要人をはじめおよそ30万人が来館しました。


教育交流

サウジアラビアから日本への留学生は、1973年に始まり石油採掘権が失効した2000年まで続いたアラビア石油㈱の留学制度に基づいて、累計で149名のサウジ人学生が日本の大学に留学しました。その後、2004年には留学生数は約20名でしたが、2005年に始まった「アブドッラー国王奨学制度」により急増し、2014年には約600名に達しました。留学先の大学は北海道から九州まで全国に亘り、課程も学士から修士、博士にまで拡大しています。
一方、日本からは1976年に6名の日本人学生がリヤドのキング・サウード大学にサウジアラビア政府奨学生として留学しました。その後、マディーナ、マッカ、リヤドなどの大学で日本人留学生がイスラームとアラビア語を学んでいます。

1982年、サウジアラビア政府は日本におけるイスラームの布教とアラビア語の普及を目的として、イマーム・ムハンマド・ビン・サウード・イスラーム大学の分校として、「アラブ イスラーム学院を東京に開設しました。同大学から数名の教師が日本に派遣され、現在、アラビア語講座の開講、講演やセミナーの開催、アラブ・イスラームの理解に資する活動を行っています。

1993年に、日本はキング・サウード大学の日本語学科開設に際し、日本人教員を派遣するなど協力しました。同学科は1994年に開講し、毎年約10名の学生が日本語を学んでいます。

また、日本からサウジアラビアに対する技術教育・職業訓練の協力として、1993年にリヤド電子技術学院(1997年リヤド技術短期大学電子工学科に昇格)、その後、サウジ日本自動車技術高等研修所(SJAHI)、プラスチック加工高等研修所(HIPF)、サウジ電子機器・家電製品研修所(SEHAI)の開校に際し、日本から専門家を派遣、授業カリキュラムや教科書の作成等の支援を行っています。


スポーツ交流

1961年に日本講道館から派遣された柔道の指導者がサウジアラビアの財閥アリー・レザー家が経営する「フィラーハ学園」にて柔道を指南したのが、日本とサウジアラビアのスポーツ交流の始まりです。以来、日本の柔道や空手道の専門家がサウジアラビア各地で若者や警察、国軍に指導を行っています。

1992年、広島で開催されたサッカー・アジアカップ選手権大会にサウジアラビア・ナショナル・チームが参加し、準優勝の好成績を収めました。1994年には、同じく広島で開催されたアジア大会に、サウジアラビアからは約170名の役員・選手団が参加し、空手や射撃、ボクシングなどで好成績を収めました。

2002年、日本で開催された「FIFAワールドカップ」にサウジ・ナショナルチームが出場しました。同チームがキャンプ地とした調布市の住民や当協会関係者等多数が試合会場で、サウジアラビアの国旗を片手に声援を送りましたが、残念ながら予選で敗退しました。

1999年、サウジアラビアビアのアブドッラー皇太子殿下(後に国王)より日本中央競馬会に「サウジアラビア・ロイヤルカップ」が寄贈され、東京競馬場で第1回サウジ・ロイヤルカップ・レースが開催されました。その後、サウジアラビア・ロイヤルカップ・レースは毎年開催されており、2015年には、日本サウジアラビア国交樹立60周年を記念し、新設重賞レースとして開催されました。毎年、レースに先立ち両国の国歌演奏、国旗掲揚される光景は、日本とサウジアラビアの友好の絆を物語っています。

これに応えて、日本中央競馬会もサウジアラビアにおいてジャパンズカップ・レース(日本・サウジアラビア友好記念杯)を毎年開催することと決定し、2002年に第1回ジャパンズカップ・レースがリヤド競馬場で行われました。この日本とサウジアラビア相互の交歓競馬レースは現在も続けられており、両国間のスポーツ交流の歴史に新たな1ページを書き加えることとなりました。


地域の民間交流

経済・政治面での緊密な交流に加え、市民レベルでの交流も、両国の相互理解を深めるうえで非常に重要です。ワールドカップや万国博覧会でのサウジアラビアとの交流がきっかけで、地域にサウジアラビアとの交流を目的とする友好協会が設立されました。

2002年のFIFAワールドカップでは、調布市がサウジアラビア王国代表チームもキャンプ地となり、調布市とサウジアラビア王国との交流が始まりました。キャンプ中、地域による代表チームのお世話や応援、子供たちとの交流などを通じ、サウジ選手団と調布市民との友好の輪が広がりました。ワールドカップ終了後、サウジアラビアとの交流を継続したいとの機運が盛り上がり、「調布市サウディアラビア友好会」が設立されました。以来、調布市は、子供たちのアラブ イスラーム学院訪問、フットサルの交流試合、サウジ写真展などを開催し、現在まで交流を続けています。2013年には、交流10周年記念行事として、サウジアラビア大使館文化部の協力を得て、「アッサラーム・アレイコムin Chofu」を開催し交流を深めています。

2005年の愛知万博では、愛知県豊根村がサウジアラビアのホスト市町村となり、サウジアラビアとの交流を始めたのがきっかけで、万博終了後、「豊根村サウジアラビア王国交流促進委員会」を設立し、交流を継続しています。愛知県の山間部に位置し自然豊かな豊根村は、サウジアラビアからの留学生に夏休みや冬休みにホームスティを提供し、緑豊かな山々でのトレッキング、清流での魚釣り、冬にはスキー体験などを楽しんでもらうなど、都会とは異なる地方の特性を活かして交流を深めています。また、地元中学生によるサウジアラビア大使館訪問、役場若手職員の日サ」青年交流使節団への参加などの活動も続けています。

これらの市町村では、「今迄遠くてよく知らなかったサウジアラビアが、こうした交流を通じてとても身近に感じられるようになった」との声が多く聞かれるようになり、石油や砂漠の国としか知らなかったサウジアラビアへの理解を深めています。


サウジアラビアによる震災支援

2011年の東日本大震災に際し、震災支援として、サウジアラビアから国営石油会社であるサウジアラムコ社を通じて、2,000万ドル(当時の為替レートで約16億3千万円)相当のLPガスが寄贈されました。これを基に、日本エルピーガス協会に「サウジLPガス災害支援基金」が設立され、仮設住宅に住む被災者に対しLPガス供給の支援が行われました。サウジアラムコ社のアルファーレ社長が多忙な合間を縫って来日、被災地を訪れ仮設住宅に住む被災者を励ましました。

また、津波で大きな被害にあった岩手県南三陸町が、2012年、サウジアラビアのアルワリード財団に招かれてサウジアラビアを訪問しました。一行は同財団のアルワリード・タラール殿下の励ましを受けると共に、サウジアラビアの国民対話センターや小学校で東日本大震災の経験と教訓を伝える機会を得ました。

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